こちらの続きです→稼げるは「結果」であって「目的」ではない
ではなぜそのような生活を望むのでしょう?
なぜ?を繰り返して自分の望みをはっきりさせる
私のケースを見ていきましょう。
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自分の心地よい働き方で自分の能力を提供し、お客様に喜んでもらった「結果」、稼ぐ事が出来ている。自分も仕事も大切にする生活がしたい
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なぜそういう生活、仕事のスタイルがしたいの?
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今までお客様中心の生活で自分の時間は皆無だった。寝る時間もない、ちゃんとした食事をする時間も余裕もないから。
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なぜ自分の時間や余裕がないと嫌なの?
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不規則な生活で疲れもストレスも溜まっていく。いつもイライラしてしまう。健康的な生活すらできなくなってしまう。そうすると、仕事のモチベーションも下がり、質も下がり、最悪病気になってしまう。お金を稼げたとしても、この状況はどうなのか?
なぜなぜ×∞
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こうして自分がなぜそのような理想の生活をしたいのか深堀していきましょう。
すると、自分が本当は大切に思っている事、大切にしたい事が見えてきます。
「べき論」の闇
自分を大切にするというと、
社会人は責任をもって仕事をする事が当たり前だ—。
そういった概念を強く持っている方からすると少し抵抗があるかもしれません。
ですが、真面目な人は
仕事なのだから(お金をもらってるのだから)嫌な仕事もやる「べき」
仕事なのだから(お金をもらってるのだから)お客様の要望になんでも応える「べき」
仕事なのだから(お金をもらってるのだから)自分の時間よりもお客様を優先す「べき」
と責任の範囲が逸脱していく傾向があります。
そして、自分が我慢をしてこの「べき」をやり続け、いつのまにか人にもその「べき」を強要するようになる。
私も我慢して嫌な仕事をしてるんだからあなたもそれをやる「べき」!
と。
しかし、よく考えてみてほしいんです。
何故そうすべきと思っているのでしょう?
「常識では・・・」「それが当たり前でしょう・・」といったその人の意思ではないフワッとした根拠であることが多いのでは?
みんなやってるんだからそうすべきと。責任とはそういう意味なのか。
そんなべき論の闇に堕ちている人には↑サイレントマジョリティーを処方しましょう。
キミはキミらしく生きていく自由があるんだ—
望んだ未来だったはずなのに、自分を見失い、心から願った仕事も「もうやりたくない!」となってしまう前に、そうした「べき」の風潮に疑問を持つ事も大事だと思います。
自分の心に正直に。
見栄やプライドの鎖に繋がれたようなつまらない大人は置いていきましょう。
自分の幸せは自分で決める
本来の自分はどんな生活がしたいんでしょう。
私はもともとお客様に喜んでもらう事が好きだった。
そして、それを「自分が実感する事がうれしかった」。
だからもっと仕事がしたいと思った・・のに、いつのまにか仕事に追われて自分の時間すらなくなって「実感する自分」がいなくなってしまった。
自分がいなくなってしまっては本末転倒だったわけですね。
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自分と向き合ってなんでこの仕事がしたいと思ったのか?
どうしていきたいのか?それはなぜ?
自分の幸せを誰でもない自分自身がまずわかってあげましょう。