松村 麻里(代表行政書士)
皆様の架け橋として
私達が初めてお客様に会うとき、皆さん不安げな顔をしています。 「どうしたらいいんだろう」「もしビザ申請が駄目だったら・・・」様々な気持ちを抱えて私達にお話をしてくれます。 でも、私達のサポートにより、お客様が 「ありがとう!」「本当に嬉しい!」 そう、満面の笑顔でいってくれる。 私達の一番の喜びです。 「安心して日本で生活するお手伝いが出来る。」 「夢を叶える一歩を手伝うことが出来る。」 これは私達の専門家としての誇りです。 私達は、これからもその「ありがとう」を増やしていく為に、入国管理局の申請取次行政書士として知識の研磨はもちろんのこと、向上心を忘れずに仕事のクオリティーを高める努力を続けていきます。
お客様へのお約束
国とお客様との架け橋に
同じ目線で
適正価格。よきパートナーでいるために
国とお客様との架け橋に
在留資格(ビザ)の申請は、決まった書類を提出すれば必ず許可がおりるという手続きではありません。
その為、「なんとしてでもビザがほしい」という思いから虚偽のビザ申請をしてしまった。
間違った情報・噂によって勘違いをしてビザ申請をしてしまった。
このようなケースは数多く、ご本人に悪意はなくとも、その「たった一度の間違い」が後に取り返しのつかない状況を招くことも多いのです。
お客様を取り巻く状況は様々で、誰一人としてビザについて同じ状況・同じ結果ということはありませんし、この方法で絶対大丈夫という答えはありません。
だからこそ、私達はビザの取得を目指すお客様ひとりひとりと真剣に向き合ってまいります。
法律の理解は前提に、経験や情報を活用し、 いわゆるブローカーと呼ばれる方々からの依頼は受けておりません。
大切なのは、クライアントの本当の望みを見極めることだと考えます。
そして必要なことは徹底的に調べ、お客様の身になって考え、知恵を絞り、最高の状態でビザ申請をする努力を怠りません。
同じ目線で
私達は行政書士という職業上、お客様と上下関係が生まれることも多いように思います。
しかし、私達は自分達の専門分野である入国管理業務においてはプロですが、お客様の職業分野に対しては素人です。
従って、自分達の仕事にプライドは持っても、決して上下関係が出来てはいけないと考えます。
私達から一方的に「要求」や「指示」はしない。 お客様の意志を「尊重」し「提案」をする。
お客様の身になって、同じ目線で、最善のサポートをいたします。
適正価格。お客様のよきパートナーでいるために
私達は在留資格の申請というお客様の人生を左右する大切なお仕事を託されます。
その責任の重さは相当なものです。望まれた結果を残す。
その為には適正な報酬を頂く事が必要だと考えております。
私達は日本行政書士会連合会の報酬額統計に基づき、各サービスの適正価格を定めております。
最近は、びっくりするくらい低価格でビザに関する業務を行う行政書士も増えております。
しかし、報酬を低く抑えるということは、業務のレベルや内容を削らざるを得ない。
それはどんな仕事も同じだと思います。
私達は適正な報酬を頂くことで、申請取次行政書士として一定水準の仕事を続けていくことができ、その結果、お客様のよきパートナーで居続ける事が出来ると考えております。
弊社代表
松村 麻里について
得意分野:在留資格(ビザ)全般。
【対応の多いもの】 ・経営・管理 (他士業連携で会社設立から税務署等への届出までのセットアップ) ・技術・人文知識・国際業務 ・企業内転勤 ・家族滞在 ・高度専門職(1号ロ・ハ) ・日本人の配偶者等 ・永住者の配偶者等 ・定住者(特に離婚定住) ・永住申請 ・帰化申請
【略歴】
・1983年5月広島県大竹市にて生まれる。比較的自由な家庭で自由に育つ。幼馴染は在日韓国人姉妹。・学校卒業後、アパレル関連会社に就職。営業職として社長賞も獲得し、仕事が楽しくなる。しかし、両親の相続問題をきっかけに「法律は守ってくれるものではなくそれを使って身を守るもの」と気づき、法律サービスの道へ。
・ビザ専門の行政書士事務所に入所し、入国管理局へのビザ申請の業務に従事する。当時はパキスタンやバングラデシュ等イスラム系のお客様が主であり、一夫多妻制等の価値観に圧倒される。外国人を取り巻く様々な事が見えてくる。多様な価値観を受け入れる。
・2008年度行政書士試験合格。
・2009年に文京区白山にて行政書士松村法務事務所を開業し、自ら就労ビザから結婚ビザまで幅広く在留資格(ビザ)のサポート業務を開始。
・2011年、品川区五反田駅前に事務所移転。自宅に帰らず事務所に泊まり込む日々・・・。拡大路線であったため、スタッフも増え、法務事務所と別に株式会社も設立。
品川区から委託を受け、品川区民相談員、東京都行政書士会品川支部の理事なども務める。
はた目からは順風満帆に見えたかもしれないが、事務所スタッフが事務所の名前を使用し、個人で仕事を受けていたことがお客様とのトラブルで判明するなど人間不信。
・2015年、港区台場に事務所移転。一度仕事のやり方を見直す為、アルバイトさん以外の方と別の道を歩む事に。
やっと自宅で眠れる日々を取り戻す。
・2016年、ヘッドハンティングで港区の行政書士法人の代表社員となり、ビザ申請業務の内製化と指導を行う。しかし、ビザの仕事は拡大路線になじまない事、量産型でやりたくない事に気づく。また、組織が苦手で職人気質なのだと再確認し辞任。
・2017年、拡大路線から卒業し、自分の納得出来るやり方で自由に仕事をするスタイルを追求する為フリーランス行政書士に。会社も売却。
行政書士業に囚われない様々なサービスの提供を開始する。大学等の研究やメディア取材にも協力し、日本に住む外国人の現状を多くの方に発信する。